魔法少女のゆめかわアクセサリー化について
セーラームーンの周年グッズがブレイクし、少女向けコンテンツの再熱が謳われる昨今。
今となってはアニメや漫画など滅多に読まない層の女子ですらクリィミーマミのiPhoneカバーをつけている。
ゆめかわ女子は皆口々に「なつかしい~」とはしゃいでいるのだ。
これがなんだか腑に落ちない。
勿論、あの頃夢にまで見た変身グッズが難なく・種類豊富な商品展開で・大人になった今の財力で手に入るなんて、思ってもみなかった。
実に喜ばしいし、おジャ魔女どれみのぺペルトポロンキーホルダー全コンプするまでガチャガチャをまわしたりセーラームーンコラボのセボンスターを箱買いしたりもした。
よくできてるなぁ~、やっぱ今見ても斬新かつ精巧なデザインだな~乙女心をくすぐる!かわいい!と一通り眺めまわして、そっと抽斗にしまった。
やはり、どこか満たされないのだ。
「アオイホノオ」を読んだ。
一番の感想としては、『オタクってやっぱり最高』。
HDDもDVDもない時代、好きなアニメのOPを見るためだけにアニメショップのテレビの前で40分待ち続けたり、VHSの一時停止はテープを傷めるからと3分でスケッチをしたり、SEを録音するために当時は高価なカセットを奮発したり。
大好きな作品を崇める手段が限られているからこそ、その作品への想い、かける情熱が現代とは比べ物にならない。
需要に対して供給が少ないからこそ、与えられた情報を何度も何度も反芻して噛み続ける。
先に書いた「グッズを買ってもどこか満たされない」の原因はこれだと思った。
飽和状態で、なんの障害もなく手に入れたグッズなどファッションに過ぎず、満たされるはずがない。
選ばれし者だけがなれるはずの「魔法少女」が、今では街中に溢れかえっている。変身アイテムや必殺技の出せる武器も、アクセサリーの延長だ。
「大きくなったらセーラームーンになりたい」という全少女の夢が、本当に叶ってしまった。にもかかわらず、それがただの過去を懐かしむツールに成り下がっている。
子供の頃、親の電子辞書をセーラーマーキュリーのパソコンに見立て、安い子供用サングラスをかけて(↓これがやりたかった)、
ハート形に切った段ボールにモールを巻いてストロベルベルを作り、BanBan(近所のおもちゃ屋)の前で駄々をこね、いい子にするから!大事にするから!と親に懇願して手に入れたからこそ、アニメグッズは輝くのであった。
(そう考えると、大人になった今でも手に入りづらいレアもののグッズには興奮するかも知れない。中野ブロードウェイで、ゼロの数が倍になったテクマクマヤコン見たときは衝撃だったし。)